今日の一曲 No.5:ストラヴィンスキー作曲 バレエ音楽「火の鳥(全曲版(1910年版))」(小澤征爾&パリ交響楽団)

「今日の一曲」シリーズの第5回です。

ここ2回はジャズと呼ばれるところに区分される音楽のご紹介が続いたので、今回はクラシック音楽を・・・と思います。・・・とは言っても、クラシック音楽と呼ばれるものの中でも20世紀に入ってからの比較的新しい作品で、現代音楽とされるものの域とそう違いはない音楽かと・・・。

それは18歳から20歳くらいの頃で、このあたりの音楽にも急にハマり込んでいったわけですが、今回は、その入口へとまんまと引き込んでくれたストラヴィンスキーの音楽から一曲をご紹介するとともに、また諸々語らせていただこうかと思います。

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高校卒業も、もうあと数ヶ月だなぁ~なんて考えるようになっていた頃だったと想う・・・、

何故そんなところに興味が向いたのか、記憶として定かなものはないのだけれど、20世紀初頭からの音楽を、やたらと「聴きた~い!」という想いに駆られるようになった。

そのおそらく入口で遭遇したのが、ストラヴィンスキーの音楽で、バレエ音楽「火の鳥」であった。

 

「今日の一曲」は、音楽の蘊蓄をあれこれと書かないことにして始めたエッセーであるので、この作品についても極簡単なご紹介に留めさせていただくけれど・・・、

 

バレエ「火の鳥」は、ロシアにあった2つの民話をもとにシナリオが構成されている。

バレエの上演を考えていたセルゲイ・ディアギレフは、ミハエル・ホーキンスに振付けと台本を依頼、音楽をストラヴィンスキーに依頼した。ストラヴィンスキーはミハエル・ホーキンスの台本作りにも加わりながら曲創りをしていた。このバレエ「火の鳥」のための音楽が、「火の鳥」全曲版(1910年版)とされる作品である。

他に、ストラヴィンスキーの「火の鳥」には、組曲として、1911年版、1919年版、1945年版がある。

 

もしかすると、日本で「火の鳥」というと、手塚治虫の漫画「火の鳥」シリーズのファンやこれに詳しい人のほうが多いのかも知れないけれど、バレエ「火の鳥」のシナリオとストラヴィンスキーの音楽に大いに感銘と刺激を受けたとされる手塚治虫がいて、漫画「火の鳥」シリーズは創作されるようになった・・・ということらしいのだ。

それにしても、バレエ「火の鳥」が手塚治虫漫画の「火の鳥」を生むきっかけになって、更には、これが映画やアニメとなって、世界へと時代をも超えて今なお拡がっていっているのだから、芸術とは、もの凄いエネルギーを持ち合わせている文化なのだと、あらためて感じさせられる。

・・・と、これくらいにしておこう。

 

実は、バレエ「火の鳥」のシナリオも大まかなことしか知らない。

手塚治虫漫画の「火の鳥」シリーズも読んだことがない。アニメ化された作品を10年以上前?に一度観たことがあるくらいで、詳細かつ明確な記憶として多くを留めているわけではないのだよ。

組曲の「火の鳥」も、その全てを丁寧に聴いたことはない。 

 

好んで聴いているのは、全曲版(1910年版)の「火の鳥」だ。

 

今回ご紹介する盤は、そのバレエ音楽「火の鳥」全曲版(1910年版)を、小澤征爾の指揮によるパリ交響楽団の演奏を収録した盤で、1973年に録音したか、あるいは出版されたかのアナログ・LPレコード盤だ。

 

自身でレコード店へ探しに行って買った同曲のレコード盤やCDの中では勝手ながら一番好みの演奏がこれだ。・・・というよりは、高校生生活残り数ヶ月といった頃に、ストラヴィンスキー作品で最初に買った盤がこれで、多分に愛着があるということなのだね~(笑)。

 

実は、ストラヴィンスキーの音楽で先に遭遇したのは、「春の祭典」だった。これに衝撃を受けたのだった。

だから高校生だった当時、きっとレコード店に入ったときは「春の祭典」が収録されたレコード盤を目当てにラックに並ぶ盤を探っていたはずで、ところが、「火の鳥」のジャケットと、当時も大して知りもしないのだけれど、手塚治虫漫画の「火の鳥」と、世界に向けて羽ばたきはじめていた日本の若き指揮者小澤征爾の名が、微かなところで重なり合ったのか?・・・このとき、「火の鳥」の盤をラックから取り出すことになった。

 

そう、音楽に関してあまり蘊蓄を語らない・・・などと言って、あまり知識に深入りしないで、または特定のジャンルやアーティストに入り込まないできてしまったのには、これは無意識に近いように思うのだけれど、ただただ音として楽しんでいたい・・・といった感覚がそうさせてきたように思う。最近になって少し自覚し始めたに過ぎないのだけれどね(汗・笑)。

 

このストラヴィンスキーの「火の鳥」などは特にそうで、・・・大まかなストーリーが頭の隅に入っているだけで、何となく情景を浮かべながら聴くこともあるけれど、大抵は音楽を聴いている間は余計な知識を省いて聴こうとしているように思う。これにはストラヴィンスキーの音楽は脳みそを働かさせずに空っぽにして聴くのにはたいへん都合がいい。思考を働かさせずに音だけに触れていられる状態を生み出しやすいとでも言ったらいいのか・・・何も考えないで時を過ごす心地よさを運んできてくれる。

 

小学生の頃には、聴いた音楽について図鑑なので調べてからまたその音楽を聴く習慣があって、そのせいであったり、これは自身の未熟さ故なのだろうけれど、少し知識があるくらいで、どうかすると、音楽を聴きながら気付かないうちに、作曲者についてや音の構成など、分析やアナリーゼを始めてしまうことが癖になっていて、それが程良いところならまだしも、感性よりも頭でっかちになって音楽を聴く傾向が普段からあるようで、それは不本意でもあって、実際のところ心地よさに欠ける。

 

だから、ストラヴィンスキーの音楽も、「火の鳥」もそうで、何の意識にもとらわれず、自然と純粋に音と向き合える貴重な作品の一つであるとも言える。

こうした想いで振り返ると、18歳から20歳の頃の多感な時期にストラヴィンスキーの音楽と併せて現代音楽などにも強く惹かれるようになっていったのには、その頃にありがちな敏感に尖りすぎる心のありようも時に「無」にしたくて、それもまた極端に欲してのことであったのかも知れない。

 

えっ?・・・今も変わらないって?

ん~、そうかも知れない(汗・笑)。

 

音たちと純粋に向き合って楽しむ・・・余分な知識が入り込んできたり、思考が働かされることを停めて、「無」な感覚でいられる時間とその貴重さを味あわせてくれた・・・その入口にあった音楽であり、高校生のときに手にした盤で、現在もこれらは大切な時間を届けてくれている。 ・・・そんな第5回の「今日の一曲」、ストラヴィンスキー作曲、バレエ音楽「火の鳥」全曲版(1910年版)を、小澤征爾指揮、パリ交響楽団の演奏を収録したLPレコード盤とともにご紹介させていただいた。