今日の一曲 No.61:ケツメイシ「ライフ イズ ビューティフル」~命を救ってもらった一曲~

「今日の一曲」シリーズの第61回目。前回の第60回目の終盤に書かせていただいた頃のこと、この一曲で、私は今日まで生き長らえてきたと言ってもよいかと、感じています。

では、・・・・

・・・・・

2007年、夏のある早朝のこと。

それでも通勤や通学で、そこそこ人通りのある市街地の路上、足を停めてその歩道脇にうずくまった。

<もうダメだ・・・>

胸裏で呟いた。

しばらく動けなかった。

通り過ぎる人の大抵が気味悪そうに避けて通り過ぎて行く中、スーツ姿の、私よりは少しだけ若そうだけれど、40歳代くらいの男性が声をかけてくれた。

「どうしましたか?、大丈夫ですか?」

<タクシーをつかまえていただけますか?>

通院している病院へも割と近い・・・はずだ。

「救急車を呼んだ方が・・・」

と言い掛けて、タクシーが走ってくるのが男性の視界に入ったらしく、

「あっ、タクシーつかまえますね」

・・・・・

幸運にも、タクシーを直ぐにつかまえてもらった。

男性にお礼もそこそこに、タクシーに乗り込んで5年以上通院している病院へと向かった。

・・・・・・

・・・・・・

何もできなくなった。2度目のリタイヤだ。

2度目は厳しい現実を突きつけてきた。

1度目のときは、3カ月半の休職が受け入れられて、社会保険の「傷病手当金(正式名称ではない)」で、家族の生活もギリギリ繋ぐことができた。が、2度目は、「傷病手当金」は認められなかった。加えて、病状はかなり悪化していて半年後の職場復帰も叶わず退職をせざるを得なくなった。わずかな退職金が出ただけだった。事実上の解雇だったのだろう。

生活の見込みが立たないとなれば、私より先に原因不明の病気を抱えてしまっていた妻も耐えられなかったのは当然で、家族も離れていった。

会社とも、妻とも、交渉をしたり、話をしたりの余地はあると・・・そう思い願うのだったけれど、身体はまともに動かせる状態ではなく、病院と、その後の実家での自宅療養中、ベッドで横になっているしかない間に、事はすべて済まされていくのだった。事の成り行きを両親から聞かされるだけで、イイ歳した大人が、ベッド上の布団にもぐっては幼い子のように泣きじゃくるだけの毎日だった。

 

さらに、仕事人間が作り上げてきた人間関係とは実に薄っぺらいものだと思い知らされるのだった。プライベートを通じても友人と思っていたのは私の勝手な想い違いに過ぎなかった。リタイヤして半年ほどの間に、私と通じてくれる人間は、両親を数えに入れても片手で足りた。

 

翌年の春を迎えていた(前回の第60回目の終盤にも書かせていただいた・・・2008年の春)。

近所を15分程度、たまに散歩するくらいに身体は回復していた。

部屋で音楽を聴こうという「体力・気力?」くらいは戻ってきたようにも・・・。でも、こうして少し身体が良くなってくると、どうしても先のことを考えるようになるのだった。そして、それを考える度に、脳裏に浮かび、胸裏で呟くのは・・・、

<生きていけるのか・・・?>

<もう死んでもいいのかなぁ~>

結局は、この2つの自問自答する言葉だけ。

 

この2つの言葉を僅かずつでも薄めてくれるもの・・・「片手で足りる数」に入っていた2人の友人から時折届くメール、そして、持っていたLPレコード盤とCDが届けてくれる音楽たち、それらを聴く時間だった。

何とか・・・命を繋いでいた。

 

これより遡って、数か月前の冬の寒い季節、部屋のベッドに横になりながら1時間ほどラジオを流し放しにしていた頃のこと、印象的に耳に入り込んできた一曲があった。「ケツメイシ」の音楽だった。

で、数か月して、ふと、想い出した。

<あっ、そう言えば、『ケツメイシ』・・・>

季節が温かくもなって、少しは動ける身体にもなって、近くの・・・と言っても歩くと20分ほど掛かるCDショップへ独りでは難しく、父の運転する車に乗せてもらって買いに行った。

ケツメイシのアルバム「ケツノポリス5」をだ。

 

アルバム「ケツノポリス5」は特別の存在になった。

このアルバムに収録されている15曲のうち、特に、12曲目から15曲目の4曲は、この当時、何度も繰り返して聴くようになった。

特に・・・の特に・・・になるのだけれども、12曲目の「ライフ イズ ビューティフル」は、『この命を救ってもらった』・・・そう思える一曲となった。

君が流した涙が いつか花を育て咲かせて

君の目の前に 広がるはずだから

君が乗り越えた壁は いつか君を守る盾となって

君のそばで いつまでも支えるだろう

・・・・

苦労 苦悩 超えた自分に

おはようハロー もう辛くないよ

泣いたり 悩んだりするから 人生は美しい

・・・・

(歌詞のすべてを載せるわけにはいかないので停めておくけれど・・・)

歌詞として並べられた一つひとつの言葉が、その言葉のすべてが、心の奥底にまで染み入って、その奥深いところにある何かを温かく包んでくれるかのように、また優しく揺さぶるかのように響いてくるのだった。

<とにかく生きてみよ>

と・・・。

 

その後、身体も心も、その回復とともに、市や医療・福祉関係、様々な相談機関を介して、そこで知り合った人たちのフォローもいただきながら、でも、それは決して簡単ではなかったけれど、少しずつ、少しずつ、「生きる手段」を見出していくことに繋がっていった。

 

ケツメイシの「ライフ イズ ビューティフル」、もちろん、これだけが全てではないのだけれど、この一曲との出会いがあって、現在もここに生きて居られる・・・これも確かなことだ。

『音楽に救われたのだ』・・・愛間純人の音楽活動の原点はここにある。

 

皆様、よい年をお迎えくださいますよう・・・、心より願っております。「ライフ イズ ビューティフル」!!きっと・・・。